【ジョジョとカイジに学ぶ「質問に答えるべきか?」という問い】秋葉原心療内科・ゆうメンタルクリニック秘密コラム
秋葉原心療内科・ゆうメンタルクリニック秘密コラム
「ジョジョとカイジに学ぶ「質問に答えるべきか?」という問い」
◆ 「ジョジョ」の質問と、カイジの「質問」。
あなたは「ジョジョの奇妙な冒険」というマンガをご存じでしょうか。
スタンドと言われる超能力を駆使して戦うマンガなのですが、その中にこんなセリフが出てきます。
(c)集英社・荒木飛呂彦
「質問を質問で返すなよ……」
「質問文に対し質問文で答えるとテスト0点なの知ってたか?マヌケ」
「質問を質問で返すなあーっ!」
このセリフ、このマンガにおいて何度も出てきますので、多くの少年たちに刻み込まれていると思います。
まとめますと、「質問を質問で返してはいけない」。
すなわち「質問を言われたら、何より先に、きちんと答えなさい」ということになります。
さてこの「質問」に関して、思い出すマンガがあります。
それこそが「カイジ」というマンガ。
主人公であるカイジが、ギャンブルを通して、色々な敵と戦っていくマンガです。
この中でカイジは、敵である「利根川」にたいして、ギャンブルで負けたらどうなるかについての説明を求めます。
すると、利根川はこう言います。
(c)講談社・福本伸行
「質問すれば答えが返ってくるのが当たり前か…?」
「世間というものは、肝心なことは何一つ答えたりしない」
「大人は質問に答えたりしない」
「おまえたちはその基本をはきちがえているから、今朽ち果ててこんな船にいるのだ」
すなわち、質問をしたからといって答えてもらえると思うのは「浅はか」であり。
それこそ「先生に質問をしたら必ず答えてもらえる」と思う「子供」の発想だと言うのです。
この二つの考え方、かなりに「真逆」だと思うのですが、果たして正解はどちらなのでしょうか。
質問には、答えるべきなのでしょうか? 答えるべきではないのでしょうか?
答えはシンプルです。
あなたが精神的に健康でいたいのなら、
「質問には必ず答える」ではなく、
「大人は質問に答えたりしない」
という考え方を取った方がいいのです。
◆ 質問をしましょう。
ここで、あなたに聞きましょう。
質問1 「あなたの悪いところは、どんなところですか?」
さらに聞きましょう。
質問2 「あなたのつらかった思い出は、どんなことですか?」
もっと聞きましょう。
質問3「あなたは、なぜそこまでして、生きているんですか?」
………いかがでしょうか。
おそらく色々な考えが湧き上がったと思います。
◆ 別の質問。
では、こう聞かれたらどうでしょうか?
質問1 「あなたのいいところは、どんなところですか?」
さらに聞きましょう。
質問2 「あなたの楽しかった思い出は、どんなことですか?」
もっと聞きましょう。
質問3 「今日、こうして生きているだけで、価値がありますよね?」
いかがでしたでしょうか。
最初の質問3つは「暗くさせる質問」。
「悪いところ」や「つらかった思い出」なんて、考えるだけで気持ちは落ち込みます。
さらに「なぜそこまでして生きているか?」なんて聞かれたら、答えるだけでもつらいですし、答えを思い付いたとしても、「え、そんな程度で?」などのツッコミが来たら、さらにネガティブな気持ちになります。
逆に、あとの質問3つは「明るくさせる質問」。
「いいところ」や「楽しかった思い出」は、考えるだけであたたかな気持ちになります。
3つめは誘導のようですが、「そうだよな…」と思える質問のはずです。
もちろんアマノジャクに答えたくなる方もいるかもしれませんが、それにしても、質問に「誘導」されるのは確かではないでしょうか。
結局のところ、「質問」の時点で、ほぼすべての方向性が決まってしまうのです。
◆ 質問は、答えを強制する。
そういえば昔、ある宗教団体さんが、信者を獲得されるための「広告ハガキ」として、こんな文面を出したことがあります。
————————————————
当団体の教祖である★★★★が、ブッダの生まれ変わりであることを、知っていますか?
A…知っていた B…いま知った
————————————————
どっちにしても決まっている二択。
というか何にせよ「事実だと知る」という前提は変わらないという。
普通「知っていた」の逆だったら、こうじゃないかと。
————————————————
当団体の教祖である★★★★が、ブッダの生まれ変わりであることを、知っていますか?
A…知っていた B…知らなかった
————————————————
………いや、でもこれにしても違和感は残ります。
たとえ「知らなかった」を選んだとしても、これでは「事実であり、それを知
らない」ということになってしまいます。
今のは二択なのでさらに限定されていましたが、何にせよ、質問が来ると、人は必死に答えを探してしまうものです。
1+1は?
と聞かれて、答えないのは非常に難しいことです。
そう。
質問には「強制力」があるのです。
誰からの質問でも同じ。
あなたの「自問自答」であっても同じです。
これは逆に言えば、「それが悪い質問であったとしても、同様に強制力を持っ
てしまう」ということ。
さらに言うなら「悪い質問であったら、悪い答えを引き出してしまう」という
ことです。
だから。
あなたの人生において、何かの質問をされても「答えなくてもいい」というこ
とを覚えておいてください。
「大人は質問に答えない」。
真実です。
もちろん責務として答えるべき質問はあるかもしれませんが、「どんな質問に
も無条件に答える」のは間違い。
重ねて質問の時点で、一種の強制なのです。
すなわち
「他人の質問にまどわされず、誘導されず、自分の考えをしっかり決められる」
というのが、成長した大人です。
ですので、たとえばあなたの中に「なぜ生きてるんだ!?」と問いかけたくなったときは、答えを探すのではなく、
「なぜかなんて、考えなくていい! そうだ、今日はどんな楽しいコトをしよう?」
とあらためて問いかけてみてください。
◆ 答えよりも大切なのは。
人生は問いの連続です。
答えを見つけようとすること、そのこと自体は悪いことではありません。
でも、「間違った質問」だってあるのです。
答えを見つけるより、ずっとずっと大切なのは、「幸せな質問」をすることです。
あなたは、どんな質問を、問いかけますか?
(完)
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
(※今回のコラムで、紹介のためマンガの一部の画像を引用しております)
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